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ぽつぽつ「父娘坂」が歌い継がれ、そして、テレビのカラオケ番組で歌唱者秋湖太郎と同じ様な着物姿、かつすそ模様に「父娘坂」という字を染め抜いた、いで立ちの出演者が増え始めた頃誰からともなく「父娘坂の会」を作ろうよと言う声が聞かれる様になりました。
そして、決定的になったのは全国津々浦々にて毎週の様に催されているカラオケ大会のステージで更に、この作品が取り上げられる様になったのがきっかけでした。
丁度その時期エンカフォンでは「父娘坂」の女性ヴァージョンもリリースされました。正に男女を問わずの受け皿の広い作品になった瞬間でした。
そして、作品を中心としたサークル「父娘坂の会」が歌謡史始まって以来とも言える意義を込めた形でスタートしました。
毎月毎月、莫大な数の歌謡曲が作られリリースされる中で、消える歌、残る歌とサイクルの目ざましさに目をパチクリさせられる業界ではありますが、良くぞここまでこの「父娘坂」が皆様に愛され続けて来たものかと、今更ながらありがたくもピックリする次第であります。
制作者である私などが考えるよりはるかに奥行きと生命力の強さに裏打ちされた同作品「父娘坂」のたくましさにただただ感激致しております。
世は正に不信とも言うべき世相を呈しおりますが、今昔を通しての親と子の不変の絆の清らかさとおおらかさとをモチーフにした、心いやされる、同作品が、更に都市化の現代社会で田園風景豊かな一服の清涼剤の役割を果
たし頂ける事を念願してやみません。
「父娘坂」担当プロデューサー
小野 允嘉
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「「父娘坂」に出逢ったのは10数年前でした。
私は歌はオンチだったので歌える様になりたいと思い、地元のカラオケの先生に歌を教わる様になり「父娘坂」に出逢いカラオケの道に引かれる様になりました。
姉の娘の結婚式に唄いたいと練習をしましたが歌オチの私にすぐ唄える歌ではないと、練習をすればするほどそう思う様になりました。それでも何とか唄える様にと数年間歌い続けております。いまだに満足に唄えないのですが体に染みついた大好きな一曲です。
そんな折に稲毛先生に出逢い本当の歌を教わる様になりました。唄うことがこんなに大変で難しいこととは、はじめて知らされる事となりました。
それから「父娘坂」「稲毛先生」にのめりこみ、稲毛歌謡学院静岡を発会する事になり年一回の発表会も9回となり、「父娘坂」静岡県大会を静岡新聞、TBSテレビの協賛を受けて開催する事も出来最高の想い出となりました。
今も私の心の底には、稲毛先生の姿と「父娘坂」が一体となって生き続け「歌」に対する心の原動力となっていす。これからも私達のグループは稲毛先生・名曲「父根坂」と共に歌の活動を行って参りたいと頑張っています。
稲毛歌謡学院静岡「早苗乃会」
伊藤 剛士
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